1982〜1998年<br>《チーム ブリヂストン レーシング》<br>Team BRIDGESTONE Racing<br><br> 近代ロードチームに変貌したチーム、1988年、1992年とロードレースで2度のオリンピック出場を果たす。
フランスからコーチを招聘、現代的なロードレースチームへ
圧倒的な強さを見せつけた鈴木がソウル1998オリンピックに出場
1980年を前にロードレースの様式が個人プレーからチームプレーへと変化し始めました。チームはここで新たに名称を《チーム ブリヂストン レーシング》と改称し、大幅に選手の強化を図ります。
当時のエースを誇っていたのが、鈴木光広でした。特にゴール前での勝負強さは、第1次黄金期をすぎていたチームを再び輝かせる原動力となりました。鈴木は多くの勝利を重ね、その勢いで1984年のオリンピック出場を目指しますが、ここで選考から漏れてしまいました。
その鈴木をなんとしてもオリンピックに出場させたい、と考えたチームは、チーム強化の一環として、フランスからコーチを招聘します。監督・コーチが密着できる体制を作り、チーム戦であるロードレースへの比重を高めていきました。
チームはそこから海外遠征を始めます。《パリ・ニース》、《ツール・ド・ラブニール》といった有名レースを始めとする欧州レースに参加し、近代ロードレースの走り方を徹底的に学びます。
その目に見える結果が、1985年の鈴木光広による全日本選手権ロードレースの優勝。この勝利は一つの表れ、当時の鈴木の強さは、いわゆる「手につけられないほど」のもの。重ねる勝利がチームを大きく牽引し、チーム全盛期とも言われる時代を作り上げました。鈴木はその強さをしてソウル1988オリンピックのロードレースに出場します。
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